痴の巨人、読書感想文を書く

病がかった「知」性が加速する読書備忘録

痴の巨人、バルザックを読む⑤~ゴリオ爺さん~

1.経緯

 トマピケを読んでいた際、「ラスティニャックのジレンマ」や「ヴォ―トランのお説教」が出てきた。この元ネタは、バルザックゴリオ爺さんであるということなので、その流れで拝読。最初に読んだのは、社会人1年目の冬ころ。

 

 

 

 

2.内容

 南仏出身の青年がパリでの立身出世を目指すものの、その手段をめぐり、右往左往しながら、葛藤の末、ピカレスク的な生き方を選ぶという話。

 

3.名フレーズ

ただ彼女は、身近の人間はやたらと疑う癖に、どこの誰ともわからない相手には気を許す多くの人たちに似ていた p38 

 ・一般に観察できる事象です。旅先での解放感もまた同じ原理に起因する現象でしょう。

 

「もし出世なさりたいのなら」と、(ボーセアン)子爵夫人が小声で言った、「まず最初に、感情をそんなにむき出しになさるものではありませんよ」  p123

 ・ポーカーフェイスであれば出世できるわけではないため、必要条件でしょう。ハンカチ王子を参照。

 

ブルジョワの奥さんたちのなかに、わたしたちと同じ帽子をかぶれば、私たちの物腰が身に付くと思っている人がいるように、ほかの女性がすでに選んだ男を好きになる女性というのがいるのよ。 p139

・これも一般化可能です。男も女も、現代において。

 

・・・大砲の弾みたいにドカンと、この人間の群れのなかへ飛び込んでいくか、そうでなきゃあペスト菌みたいに忍びこむしかない。・・・腐敗はふんだんにあるが、才能はめったにない。だから、買収というのがやたらといる凡人どもの武器であり、君もいたるところで、その切っ先を感じることだろうさ。・・・君の選ぶことのできる職業のうちで、10人ぐらいはさっさと成功するのがいる。世間はそういうのを泥棒と呼ぶ。そこから結論を引き出したまえ。ありのままの人生とはそんなものなのだ。

p184以下 ヴォ―トランの説得パート

・この箇所は必見です。最も核心を突く真理の部分は、あえて抜粋していません。ぜひ一度図書館で読んでみてください。特に、高校生や大学生は必ず読んだ方がいいです。ヴォ―トランの視点は刺激に満ち満ちています。彼は必ず新しい切り口を提供してくれることでしょう。

 

流行の先端を行く青年なら、下着の点にかけては相当な凝り方をしないわけにはいかない。一番しょっちゅう目を付けられるのは下着だからな? p267

・どんな下着が正解なんでしょうね?

 

俺は行動を手段として考え、目的しか眼中にない。 p282

 

美しい魂を持っていると、この世間に長くとどまることはできない。 p464

 

「さぁ、今度は、俺とお前の勝負だ!」

そして、≪社会≫に対する最初の挑発行為として、ラスティニャックは、ニュシンゲン夫人の屋敷へと晩餐を取りに出かけた。 p508

痴の巨人、バルザックを読む④~セザール・ビロドー ある香水商の隆盛と凋落~

1.経緯

 倒産や清算といった法的な局面における人間模様の観察ないし考察を行う題材として拝読。

 

 

 

 

2.内容

 ひとかどの成功を収めた成り上がり商人が敵の罠にかかって窮地に陥り、評判を落とすものの、最後には周囲の手助けを得ながら評判の回復に成功するという話。

 

3.名フレーズ

「不幸とは、天才にとっては踏み台、キリスト教徒にとっては清めの池、賢い人間にとっては宝の蔵、弱い人間にとっては奈落である」p31

 

「パリでは自信満々であることは実力のあらわれであると受け止められる」p53

 

「いかなる存在にもその絶頂期があり、この期間は原因が結果と正確に呼応しながら作用する…死それ自体でさえ、災禍のときに蔓延期、停滞期、衰退期、休眠期を得るからである。われわれの地球も、おそらく、他より少し長持ちしている花火の一つなのだ.…生じた結果がもはやその原因と直接的な関係になく、適正な釣り合いもとれていないとき、崩壊が始まる」p67

 ・地球が花火だという箇所が好きです。花火という刹那的な物と地球を結び付けて語ることは平凡そうでありながら非凡です。意識しなければ、地球の刹那性を感じることはできないからです。天文学の世界では、人生がいかにも短いため刹那的なものに感じられますが、日常生活で日本列島ができたのはほんの4000万年前で~と抜かせば、「ほんの」というのは人間の視点で語るにはあまりにも不適切ですね。

 

「恋を動かすのは希望の衝動であり、その衝動が無謀であればあるほど恋はそこに賭ける」p70

 

「愛とは本質的に利己的なものである。利己主義とは深い計算のことである」

 

「…何らかの形で肉体的な欠陥を背負うあらゆる人間にとってとるべき策は2つしかない。人におそれられるか、この上なく優しくなるかである。大部分の人間がふつうするように、二極の間をふらふら行ったり来たりすることは、彼らに許されない。第一の場合、才能、天才、あるいは力が関わる。恐怖を覚えさせるのは、悪の力である。尊敬させるのは天才、不安にさせるのは才気の豊かさである。第二の場合、彼らは愛され、女性の専制的愛情に実に巧みに取り入り、肉体的な完璧な人間よりも人を愛する術に長けている」p139

・「金閣寺」(三島由紀夫)の柏木も人におそれられる側の一例ですね。どうでもいいですが、後者の男は、本当に意味で「オス」足り得ないと思います。まぁ、人間が「オス」らしくある必要はないという意見もあるでしょうし、昨今の風潮は猶更その傾向になる気がします。

 

「繁栄は、いつも一種の陶酔を引き起こす。二流の人間は、決して、それに抗うことができない」p151

 ・好事魔多し

 

「商人は出費が過剰と判断されれば、そのまま単なる詐欺的倒産と認定されるのである」p210

 ・これは面白い話でしたね。イギリスでも破産行為が刑事上の問題とされていた時代がありました。今日の商取引がいかに自由にあふれているか痛感します。現代のアリストクラシーの基準が資本力に起因するのは、必然かもしれません。

 

「一連の理屈によって希望の筋書を組み立てられる人間は、不幸に陥っても、その理屈を一杯に詰め込んだ枕の上で頭を休め、救われることがある」p236

 

「商売においては機会がすべてだ。たてがみにしがみついてでも、成功の背にまたがらない者は、財産をつくれない」p246

 

「大衆は情勢によってすべてが変わることを理解できない」p252

 

「期待のもっとも心地よい乗馬である「もし」にまたがって、顎を撫でながら、その有名人のお世辞は実によい兆候だと考えた」p255

 

「求婚者の一番の持参金は才能である」p282

 

「(支払期限の延期の申し入れに対して)不可能です。…取引に関わっているのは私一人ではないからです」p298

 

「不幸のいいところは、本当の友人が誰かを教えてくることさ」p340

 

「二重の見ものが存在する…平土間からみる芝居と楽屋からみる芝居だ」p347

 

「(破産の局面において)身を守るとは、他の債務者の損害においていくらかの財産をひったくることだ」p353

 

「金銭の傷で死ぬ人間はいません」「そう。だが、魂の傷では死にます」p378

 

 

 

 

 

 

 

 

痴の巨人、太宰治を読む①~『ア、秋』~

1.経緯

 4連休の最終日に、つまらぬものをネットサーフィンで見てしまった。そこで、痴の保養のため、手早く名文に触れたく思い、太宰治の短編を読んだ。

 

2.内容

 秋をタイトルとしているものの、詩材からその叙述が開始される。

 内容はよくわからない。

 

3.名フレーズ

本職の詩人ともなれば、いつどんな注文があるか、わからないから、常に詩材の準備をして置くのである。

本職としての覚悟は、すべての職業に通ずるところである。本当はできる限り、事前に準備をしておきたい。都度勉強をします、では限界がある。腰を据えて、本を読みなおす手間は、少なくないからだ。しかし、現実にこれは難しい...

 

芸術家ハ、イツモ、弱者ノ友デアッタ筈はずナノニ。

弱者の友とは何なのか。

 

 

 

 

 

 

 

痴の巨人、バルザックを読む③~骨董室手形偽造物語~

1.経緯

 名編集に含まれる短編集であるため、拝読。

 

 

2.内容

 名家のバカ息子が都会で美人に入れ込んで手形偽造にまで手を付けてしまったため、忠実な家臣は、その火消しに奔走する、っていう話。

 

3.名フレーズ

「作家という人間は、その時代の年代記作家となることで、いやおうなしに多くの傷口にふれてしまう」p267

・事象を観察し、それを叙述する作業を行うさいに、事象の対象に忖度も限定もないならば、指摘の通りであろう。注意すべくは、忖度も限定もなければ、読み手は、往々にして満足しない点である。

 

「感謝の念を抱かれることを、巨額の支払いをなされたかのように思ってしまう、気高い心の持ち主というものが存在する。そうした人間にとっては、両者の心映えの調和と魂の自然の交わりとが醸し出すところの、あの甘美なる対等関係という感上のほうがよほどありがたい」p273

・これ、わたしのことです。

 

「もっとも熱烈なる革新者たちは平等など不可能であることを発見する」p287

・理想にもえつつ現実をみることは困難であり、現実を見つつ理想に燃えることもまた困難である。平等等の理想もまた現実に行動を起こす者からすれば、困難を伴うものと言わざる得ない。

 

「パリでは、最初の反応とは保護者ぶることでありながら、第二の、はるかに永続する反応とは、保護を受けている者を軽蔑することなのだ」p332

・パリに限らず、世界中の都会で、この構造がみられる。その理由は、世界中の都会が田舎から人を吸い上げるからであろう。彼ら彼女らは、ほとんど常に、保護の対象からはじまるのである。

 

「僕たちは「事実」から「思想」へと、荒々しい力から知的な力へと移行したんだよ」p338

 

「叔母、母親、姉妹というものは、自分たちの甥や息子や兄弟に対しては、いわば特殊な法解釈をおこなう」p363

・客観的に観察することは不可能であり、したがって、供述の信用性の問題は常に頭に置いておかねばならない。

 

「自分の仕事を、あれやこれやと徹底的に研究することにおいて、未開人、百姓、田舎者にかなうものはいない。…とかく時間というやつは、いくつもの物事を考えなければならない人々、人類の重要事において、すべてを準備し、導いていかなければならない人々に足りないものなのだ」p369

・時間という資源に着目した立論であり、時間を有効に活用できる未開人、百姓、田舎者がいるならば、妥当する命題である。しかし、現実の未開人、百姓、田舎者の多くは思考を停止しているから、このようにはならない。時間があっても、たいていは、病がかった「知」性の加速が遅々として進まぬのだ。

 

「罪は罪を呼ぶ」p389

 ・いわずもがな。実感することも多いのでは。

 

「みなさん、もはや貴族階級(ノブレス)はないのです。特権階級(アリストクラシー)があるだけなのです」p463

・現代の日本もまさしくこれ。上級国民とかいうワードがネットで人気を博しているのも、そうした意識が浸透している証であろう。しかし、上級国民であるから「そのように扱われた」ということは、そうである場合とそうではない場合がある。司法の多くは、そうではないが、政治の多くはそうである。例えば、飯塚幸三氏は、そうではないし、職域接種は、そうである。この区別は重要であると思う。しかし、ネットのエモーショナルな反応を見る限り、大衆は、この点に気が付かない。そうあるべく、教育を施されてきたからであろう。一億人総白痴化は、テレビではなく、文部科学省と政治家によって、すすめられた。ときどきある年寄りの「最近の若い者は勉強足りトラン」に対する批判の一つは、そのような制度をつくったのは年寄に他ならないということである。

 

 

 

 

 

4.補足

 作中の小切手の偽造は、わが国においては有価証券偽造罪(刑法162条1項)の問題である。作中では、偽造罪が被害者の告訴が必要な親告罪であるとされ、また、「民法における偽造罪の本質とは、他人に損害を与えること」であるという記述がある。したがって、親告罪であるか、刑法の問題か民法の問題か(これは「罪」としている以上当時のフランスにおいても刑法の問題と思われるが)、そして、損害の発生が要件になっているかという違いがある。

 ルールとは、変動的であることを教えてくれるよい例である。・・・と思ったが、実際には以下のような思考になる点を法律に疎いために見落としている可能性があると思われた。

 すなわち、原文は不明であり、また当時のフランス法は存じ上げないが、現在の日本に置きかえて整理すると、民法が出てきているのは、民事上の不法行為に基づく損害賠償請求権が訴訟物であるためであろう。また、有価証券である小切手の偽造という刑法に反する行為は、違法な権利「侵害」行為があったと主張する文脈で出てきたのであろう。そうすると、現在のわが国に置き換えれば、損害発生の点は偽造罪の成否の問題ではなく、権利侵害、その金銭的評価の問題に収れんするものと思われる。

 

 

 

 

 

痴の巨人、バルザックを読む②~ゴプセック~

1.経緯

金融小説名編集に含まれていたため、拝読。

 

 

 

2.内容

(1)特徴

 手形の割引人をしているゴプセックの身の回りで起きた悲喜劇がデルヴィスという代訴人の視点で語られている。

 一つ一つの取引の複雑さは、ニュシンゲン銀行等と比較すると、大したことないが、いわゆる相殺や(当時の)行為能力論について察しがついていなければ、なにゆえにゴプセックという男が取引で利益を得ているのか理解することはできないものとなっている。

 また、名フレーズの大半は、ゴプセックという高利貸しの言葉であることからわかるように、この男が兎に角、強烈なのである。彼の演説パートは、10代から20代にかけての若者に強く訴えかけるものがある。クソみたいなインフルエンサー(笑)の落書きnoteを読むくらいならバルザックを読むを読む方が、病がかった知性に近づく。

(2)具体例

以下のような取引があった。

1伯爵夫人はゴプセックから金を借りようとする。

2ゴプセックは、30万フラン相当のダイヤを担保に5万フラン(5000万円くらい)の手形を伯爵夫人に渡す。伯爵夫人の愛人には、3万フランの手形を振り出すが、その場で、事前に取得しておいた愛人に対する手形債権と相殺したため、愛人の実際の取り分はゼロ。

3当時のフランスでは夫人に行為能力がないため、伯爵は、ゴプセックと前記契約の効力をめぐり、紛争状態になりかける。デルヴィル代訴人は、これを示談という形で、ダイヤを8万5千フランで買い戻す形で契約をまとめる。(なお、担保のダイヤは伯爵家の先祖代々の財産であるから金を払ってでも取り戻す理由があった)

 以上の取引で、ゴプセックは、8万フランの銀行小切手を振り出しているものの、一連の流れで、伯爵から8万5千フラン、伯爵夫人の愛人に対しては手形の額面と取得価格の差額分だけ利益を得ている。

 したがって、彼はキャッシュを持ち出すことなく、手に入れることに成功している(8万5千ー8万+差額=彼のキャッシュインだ)。

 

3.名フレーズ

「この世で定まったことなど何一つない。風土によって変化する習慣があるだけだ」p20

・現在、法人税率の下限を定める動きがある。ルールとしては妥当なものといいうるけれど、もともと、今ほどに国境を超えた取引が盛んではなかった時代には、各国における制度の違いは当然認容されていた。強者は、むしろ、それを利用していた。ルールがフィックスされることは、今ある優位性の影響も少なからず保存された状態になるわけだから、本当の意味での公平とは何か。プレーンに考え始めると思うところはある。

 

「…世間のことをあれこれと詮索して時間をつぶすことができるのは馬鹿だけだ。つねに予測不可能な出来事を統治しようと、いろいろな政治の原則を打ち出して、同朋の役に立っていると信じ込めるような人間は、お人よしだけだ。…隣人が3日後にしか手に入れられない馬や馬車を一足先に手に入れて自慢したり、そんなことでうれしがることのできるのは愚か者だけだ」

・約200年前の指摘ですけど今でも十分通用することに驚かされます。

 

「幸福というものは、生命をすり減らすような激しい感動か、それとも人生を正確なリズムで作動するイギリス式の機械にしてしまうような規則正しい仕事か、そのどちらかにある」p21

・好き嫌いは別にして、いわゆる公務員的な生活って本質をついているのよね。

 

「金持ちは、自分たちの財産を守るために、法廷や裁判官やあのギロチンを作り出した。何も知らないやつらが、近寄って身を焼いてしまう蝋燭のようなものさ」p27

・ 宮崎パイセンの政治を知れば得をする的な本は下品な感じもするけれど、立法が制度形成の手段である以上、制度形成がどういう人間にとって有利に作られているかという視点は無視できないわけですね。ロビー活動などはさらに立法の手段という関係だから、本当にこれに集約できる。

 

 

「あんたがたの社会秩序全体も、煎じ詰めれば「権力」と「快楽」に還元できるのではないか」p32

・TOKYOのお話ね。

 

「幸福な男ほど、我慢のならないものはありませんから」p42

・これは謙遜しつつ話を切りたい場面で。

 

「血を見るためには、まず血を持っていなくちゃならん。しかし、お前の血管には泥が詰まっているだけじゃないか」p57

 ・痛烈。血まみれは青春、泥まみれは白秋か。昔、政治学者の山口二郎先生は、安倍元首相に対して、「お前は人じゃない!」と言って炎上したそうだが、そのことを思い出してしまう。

www.sankei.com


「わしは君に感謝の念を抱かずに済むようにしてやったのさ。わしには何の借りもないと信じる権利を君に与えることによってね。だから、われわれは今もこの世でいちばんの友達なのさ」p65

・フランスっぽくないですか?この理屈っぽさ。

 

「人生ってやつは、一つの仕事であって、職業であって、それを覚えるためには苦労しなければならん。いろいろな苦しみを経たおかげで、人生のなんたるかを知った人間は、心根が鍛えられて、一種の柔軟さを身に着け、自分の感受性を制御できるようになる」p68

 ・感受性を制御できないことは、未熟さのあらわれだ。自戒。

ところで、この苦労云々は、三島先生の「絹と明察」において主人公の駒沢が指摘する点でもある。

 

「敵対する人間同士はたいていの場合、心のなかに持っている秘密の意図や考えを互いに見抜く。敵対者同士の間には時として、互いに相手の心の中を読みあう恋人同士と同じくらいの、明晰な判断力と知的洞察力がみられる」p75

 

 

「憐れみというのは、ある種の性格の人々にとっては、もっとも残酷な侮辱に等しい」p76

 

「お前は悪い娘だった。お前は悪い妻だった。そして今度は、悪い母親になろうというんだろう」p83

・不貞を働いた妻に対しての言葉。痛烈。悪い娘云々の背景は、ゴリオ爺さんあたりも含めて読まないとわからない仕組みです。

 

「強烈な情念が知性に打ち勝った老人すべてに訪れる、あの子供っぽさ、あの理解できない頑固さの最初の兆候」p94

・人は、年を重ねると、最後、子供になって終わるんですよね。無様になってまで長生きしたいかっていうのは、永遠のテーマだね。あまり真剣に議論されてないけれど。この点、三島先生の本は参考になる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

痴の巨人、バルザックを読む①~「ニュシンゲン銀行」偽装倒産物語~

1.読書の経緯

私がニュシンゲン銀行を初めて手にしたのは、投資会社に入って1年目の頃であった。このとき、私は、貪るようにして読書に励んでいた。清水一行池井戸潤真山仁といったポップなものからは卒業し、読書の対象は、ドストエフスキースタンダールといった比較的重厚感のある作家の作品となっていた。その中でも、バルザックは、最も俗っぽく、したがって、金融という人間の欲望が渦巻く世界にいた私にとっては、最も共感しやすいジャンルの作品が多い作家であった。

 

2.内容

銀行家ニュシンゲンは、小皿を大皿と取り替えることによって、財を得た。

具体的には、ニュシンゲンは、わざとアメリカに巨額の投資を行い、自身の銀行の財産をなくし、これを清算することにした。また、同時に、自身の夫人が離婚に伴う財産分与請求を裁判所に申し立てという情報を市場に流した。これによって、有価証券での弁済を求めるように促した。

銀行の債務者らは、銀行に対する債権、すなわち手形を割り引いた価格で取得し、これを相殺に供した。債務者は、倒産しそうな会社の債権を割安で買えるし、そのまま額面通りの債務を残しておくより、相殺した方がいいからだ。そのうえで、清算手続きでニュシンゲン銀行は、債権者に対して、株券をもって代物弁済した。このとき、株式相場が好調であった。抜け目のないと自認する者は、手形債権をプレミア付きであっても購入し、有価証券とこれを積極的に交換した。

他方、ニュシンゲンは、実質的に他人名義で会社を有していた。彼は、この会社が実際には好調にもかかわらず、事業の失敗を装い、配当不払いなどをすることで株式の価格をあえて下落させた。このとき、多くの株主は、狼狽から株式を安値で売った。ニュシンゲンは、本来、会社の業績が好調であることを当然承知していたため、安値でこれを買い戻した。

つまり、清算手続きという場面において、ニュシンゲン銀行(すなわちニュシンゲン)は、債務者による相殺や代物弁済によって、キャッシュアウトを巧みに避けつつ債務を消滅させ、最終的には価値ある資産である株券を安く手に入れることにも成功したのである。

 

 

3.名フレーズとコメント

「恋というものは、愚かな人間が偉大になる、唯一のチャンスだ」

・若者は、チャンスにあふれている。若さは、最大の資産である。

参照:

www.youtube.com

 

「このような清算は、子供みたいな大人たちに、1ルイの金貨の代わりに小さなパテを一切れくれてやるようなものだった。…その金貨があれば、パテを200個でも変えることを知らないで!」p165

・取引の本質だろう。同趣旨の記載は、初代ロックフェラーの伝記にもみられた。もっとも、企業が堂々とこういうことをやることは、規制の対象になるため、要注意である。立法は、なかなか進んでいて、公益的側面、消費者保護的視点の規制は、先進国ではグローバルスタンダードとなりつつある。

 

「情熱を殺せば、社会を殺すことになる。社会というのは、情熱を生み出すものではないにしても、それをはぐくむものだから」p178

・それでは、理性を殺した場合、社会はどうなるか。北斗の拳

 

「不和が生じないのは、非常に強い者同士か、それとも非常に弱い者同士のあいだだけである」

・裏を返せば、喧嘩が起きるのは、均衡を失しているからでしょう。人は、学校でも、職場でも、往々にして摩擦を生じさせますが、前記命題に従い判断すれば、ほぼ必然的事象ということができますね。

 

「金を借りている人間の方が貸した人間よりも強い」

・これは、ソフトバンク孫社長も実践なさっているところですね。氏の教養からして必ずこの本は読んでいたと思います。なお、私の少ない読書経験の中では、この手の話が出てくる小説で最古のものが、この「ニュシンゲン銀行」(1837年)です。

 

4.補足

 債務者が手形債権を後から取得し、これを相殺に供して債権的に満足を得ることは、ほかの債権者との関係で、認められるかという問題がある。相殺する側は、得をするが、ほかの債権者は、他面で、債務者の有していた債権が消滅するから債務者の一般財産の減少を甘受させられる。そこで、現代の日本では、このような意識から破産法72条あたりが相殺を一定の場合に禁止している。現代において、そのまま本件のスキームを再現することはできないのだ。