痴の巨人、三島を読む②~絹と明察~
1.経緯
滋賀県浮御堂へ小旅行をするのに合わせて、拝読した。読書と旅行を結び付けることによって、一定期間のうちに読み上げるというモチベが発生するし、旅行先では一定の目的意識をもって行動することが可能になる。
2.内容
おやじと子という関係性を企業へ投影した形で描写したもの。
3.名フレーズ
感謝恩謝なんていう自発的意思を少しでもあてにすべきじゃない p288
(1)温故知新
このフレーズは、主人公の駒沢が会社経営のノウハウを語る際、人には感謝恩謝の気持ちがあるものだと述べていたことを岡野が批判する文脈で述べたものである。
これと関連して、興味深い点を指摘できる。
非契約のディストピアでは、かつては社会的信頼を築き補充する仕事が占めていた空間を、確かさを求める監視資本主義の活動が満たし、かつての人間の仕事は、保証された結果へ向かう行進を阻害する不要な障害として再解釈される (監視資本主義・p385)
つまり、監視資本主義という一昔前に流行ったオカルト本において指摘されていた危険そのものを岡野は口にしていたという点である。
三島先生の小説は、1964年ごろに発表されていた。当時では、現在のような情報技術の発達に伴う管理社会の危険はまだ顕在化しておらず、むしろ、岡野のような合理主義を推し進める者らにとってはある種の理想的な制度として夢想されていたのだろう。
しかし、小説の後半で岡野が後味の悪さを感じるように、このような合理化が必ずしも理想的ではないのではないかという点は、本書においても指摘されていた。
要するに、監視資本主義の警鐘は、50年も前に三島先生がすでに企業小説という私のような大衆にも理解しやすい形で鳴らされていたということである。
(2)制度形成の考察
ところで、制度形成におけるプロセスで遊びは多少、必要であるが、FIT法はいささか奇妙である。
FIT法は、設備ではなく事業に着目して認定等を行う。
そのため、発電用の土地を追加することも事業の変更といいうる。
事業の変更には、法10条によって、但書の場合を除き、認定が必要である。
例えば、飛び地で発電し、買取価格が高い昔の認定地を経由するというテクニックを用いる際に、これが法10条但書にあたるのか否かは認定の有無にかかわるため、かなり重要なことになる。
(再生可能エネルギー発電事業計画の変更等)
※2経済産業省令とは、電気事業者による再生可能エネルギー電気の調達に関する特別措置法施行規則のことをいう。
法10条に係るところでは、規則のうち、8条及び9条が指摘できる。
飛び地の追加については、従来、規則9条1項各号の変更には至らないとして、「軽微な変更」扱いをされてきたため、結局、法10条の認定は不要という扱いをされて来たのだと思われる。(法9条条第二項第三号から第六号にあたらないという解釈もありうるが)。
ただ、不思議なのは、規則の、例外規定の内容が特定の場合を除くというネガティブリスト方式になっていることである。
これは、通常、規制緩和を実現するために用いられる技術(ex派遣法)であるから、例外を認める規定にこのような定め方をすることは、認定を原則不要にするようなものであろう。
なぜこうしたのか。
人の自由意思が介在した結果なのだろう。
(軽微な変更)
そのほかの名フレーズ
ハイデッガーのいわゆる「実存」の本質は時間性にあり、それは本来「脱自的」であって、実存は時間性の「脱自」の中にある。 p76
人生には、何かの加減で、めいめいがトランプの札をもって、そうやってめぐりあうことがあるものだ p90
大勢の人間の幸福が、若い君の双肩にかかっているのです p154
風景のこころをえいと握っとる絵を見て、人の心をえいと握る自信をつけますんや p174
冒険と愛があったら、他に何が要ろう p177
・かっこいいね。
小さな都市では、有力者の「精神的肥後」やちょっとした寄付行為が大いに物をいう p217
悲しみよりも、感謝恩謝のほうが、民衆にとって本質的なもののはずだから p230
争議を真っ向から「自然への反逆」と規定した p264