痴の巨人、読書感想文を書く

病がかった「知」性が加速する読書備忘録

痴の巨人、バルザックを読む⑥~幻滅 メディア戦記~

1 経緯

 実質的にゴリオ爺さんの続編なので、その流れで読みました。バルザックのヴォ―トラン三部作は、ゴリオ爺さん⇒幻滅⇒浮かれ女盛衰記の順に進んでいくからです。ラスティニャックやリュシアンは、ヴォ―トランの引き立て役なのです。

 

 

 

2.内容

 パリでの成功を夢見る若き詩人が様々な挫折をするが、ある神父の手ほどきによって、復活するという話。

 

3.名フレーズ

(上)

駆け引きにおいては、議論ができるかどうかで、自分の利益を守ることのできる有能さが商人に備わっているか否かが明らかになる p22

寛容な人間は商人として一流になれない。 p23

・お偉方は皆、汚いパンツを家で洗っている。事業という装置を通じて合法的に人から追いはぎをする人物もいる。商人の性根はその程度のものであるから、大企業創業家の一族に何か倫理的ないし道徳的なことを期待するべきではないし、物おじをする必要もない。逆にそういったバックグラウンドがないからといって卑下することもなければ、非難するべきでもない。したがって、小室圭を取り巻くスキャンダルは、端的に言って、親子そろって汚いパンツの洗い方が少しへたくそだっただけのことだと思う。彼らの一族を非難する資格は、上流階級を自認する人々にこそ、ないのではないか。

田舎で美人と評判の女も、パリに場所を移してみれば 一顧だにされない。なぜなら、その女が美人だといったって、「あばたの国ではおかめも美人」という意味において美人というに過ぎないからだ。 p210

 本物の才能とは常に気立てがよく、無邪気で、開かれていて、気取らないものである。p287

歳月人を待たず、花嫁もまたしかり。 p331

 

分かるだろう。何もかもが偶然なんだよ。一番しょうもないのは、才気があるのに一人っきりで家の片隅にこもっていることだよ。 p364

・一番惜しいことはなにもしないことだ。それは、チャレンジをした方が後悔しないというのではなく、そういった主観的感情の問題以前に、客観的に、結果が偶然の産物として我々の目の前に現れるからだと僕は考えている。念のために申し上げると、才気があるかは、主観的に決めればよい。

(下)

ぼくんちの粗末な昼食に来てくれる時、早めにいらっしゃい。ホイストのやり方を教えてあげます。われらが栄えある故郷アングレームの名折れですから。タレーラン氏の言葉を使うならば、もしこのゲームを知らないと、老後は寂しくなりますよ」p538

 

パリの商売の愚かなところは、何か一つ当たったら、次はその逆を狙うべきなのに、二番煎じにこだわるところだ。 p556

「そういう幸運というやつは、」‥「馬鹿どもや無能なやつらには訪れてくれない。ボナパルトの運命を幸運などと呼べるか?イタリア遠征軍の指揮をした総司令官は、ボナパルトの前に20人いた」 p592

「定期的に後悔を繰り返すことを、ぼくは大きな偽善とみなしている」(ダルテスの言葉)p604

 

美点も栄光もひきはがされた姿を社会の前にさらすまいと人は自殺する p845

・この作品に限定されず、バルザックの作品ではたびたび自殺についての考察が登場する。いや、思い出すだけでも、例えば三島先生の金閣寺はまさしく死に方を探求した作品だったから、かなり多くの文学作品がこのテーマを扱っているのだろう。僕は、文学青年ではないため、正確な数字がよくわからないけれども。大切なことは、彼らには彼らの数だけその答えがあることだと思う。ダイバーシティなど当然のことをあえて標語を掲げること自体恥ずかしい話だ。

「要するにあんたは、1万か1万2千フラン(今でいうと4千万円くらい)の金がなくて自殺しようとしているわけだ。まるで子供だな。・・・運命というのは本人が自分の運命にどれくらいの値段をつけるかで決まるんだよ。ところがあんたときたら、自分の将来に1万二千フランの値段しか付けないとは。」…「(皇太子向けの嘘の歴史ではなく、本当の原因を集めた歴史の一例としてリュシュリュー枢機卿の話を挙げたうえで)偉い人というのは、みんな人でなしだよ」… カルロス神父(=ヴォ―トラン)の野心家向け歴史講義 p856以下

 ・このロジックによれば、例えば、1億円の借金で自殺する人間は自身に1億円の価値がないことを自認することになる。自殺を考える際、その原因たるXとあなた自身の価値は較量せねばならない。往々にして、あなたはXを乗り越えるべきだと結論付けられるのではないだろうか。たかがX。これがキーワードだと思う。

「道徳は法律に始まる。宗教で片付くなら、法律などいらん。宗教心の厚い国民は、あまり法律を持たない。」 p862